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「リ・ライフ」セミナーのご報告
      日時 令和8年2月7日(土)
午前10時00分 ~ 午後1時00分頃まで
場所 世界遺産 古市古墳群、アイセルシュラホール
参加人数 10名
テーマ 「考古学者と世界遺産 古市古墳群を巡る…」



コース

福田英人さんのご案内

鍋塚古墳

神社の中を通る電車

古室山古墳

応仁天皇陵古墳 ご拝所前にて記念撮影

アイセルシュラホール

巨大な古墳ジオラマ
 2019年に世界遺産の「文化遺産」に登録された百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて築造された、古代日本列島の王たちの墓群です。今回は、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を10年以上担当された福田英人さんの案内で、「鍋塚古墳」「仲姫命陵古墳」「古室山古墳」「応仁天皇陵古墳」「アイセルシュラホール」を見学しました。
 近鉄「土師の里」駅の改札口に集合し、道路を挟んで正面に小さな山が目に入りました。福田さんからいただいた資料を見ながら、まずは鍋塚古墳から巡ります。この古墳は4世紀後半に築造された方墳で、古墳に登るのは初めての経験でした。すぐ横には住宅が立ち並び、その奥に「仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)」が見えます。そこに向かいます。
 「仲姫命陵古墳」は古市古墳群で、応神天皇陵古墳に次ぐ大きさの前方後円墳です。墳丘の周りを幅の狭い濠が巡っており、外側の堤は幅が広く、円筒埴輪や形象埴輪が見つかっています。築造時期は4世紀後半で、宮内庁が管理しているため、内部には入ることはできません。北側を歩いていくと、澤田八幡神社があります。ここでは、近鉄南大阪線が神社の中を通っており、「神社の中を通る電車」として有名なスポットです。
 次に向かうのは「古室山古墳」。こちらも墳丘を自由に歩ける古墳です。4世紀末に築造された全長150mの前方後円墳で、桜の木が多く植えられています。百舌鳥古墳群は大阪湾に面し、古市古墳群はかつて内海があったため、海外から来た船が最初に目にする巨大な墳丘でした。強大な権力を持った王権が、その力を国内外に誇示するために築いたものと考えられています。したがって、内海からの見栄えを重視して「葺石(ふきいし)」の演出が行われ、反対側はあまり手をかけなかったとの説明がありました。
 「応仁天皇陵古墳」に向かいます。応神天皇陵は5世紀に築造されたとされ、世界最大級の陵墓である仁徳天皇陵に次ぐ規模を誇ります。拝所から見える厳かな景観は、日本の歴史と伝統を感じさせます。
 西に進むと「アイセルシュラホール」の建物が見えてきます。この建物は、船形埴輪や巨石などの重量物を運搬するための道具「修羅(しゅら)」をモチーフにしているとのことです。建物の2階には、発掘された出土品を展示する歴史展示ゾーンがあります。ここでは、津堂城山古墳から出土した重要文化財の水鳥形埴輪や西墓山古墳の鉄器埋納施設、巨大な古墳ジオラマなどを見学しました。
 最後に、地元で人気のイタリアン「チプリアーニ」でランチを楽しみました。
 福田さんの丁寧な説明と案内のおかげで、大変勉強になり、古代の歴史に思いを馳せる楽しい一日となりました。ありがとうございました。
文/新井律子



近鉄南大阪線 土師ノ里駅10時集合で約5キロメートルの行程で国内2番目の応神御陵など約6基の古市古墳群(総数約130基)を見学して、最後は藤井寺市のアイセルシュラホールで、それらの出土品の見学をしました。今回は考古学者の福田先生(百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に尽力された方)にご案内頂き、とても分かりやすく大変勉強になりました。百舌鳥に比べると古市は半世紀程歴史が古かった様です。

なぜこの様に強大な建造物が造られたのか?一基造るのに10〜20年もかけて。労働者は?その人達の生活圏は?葺石その他の材料はどこから持ってきた?

権威の象徴を見せる為、其の外の要因は?

築造技術は誰が、どの程度の技術力があったのか?色々と疑問が湧き上がります。古市古墳群は街道筋から、百舌鳥古墳群は海から見える位置に築造されてるとの事。確かに古室山古墳の最上部からは大阪平野が一望出来ました。シュラホールの前方後円墳のジオラマを見ると大王の力に威嚇されるのが理解出来ました。

セミナー終了後、近くのイタリアン(ベニスの五つ星ホテルと同名のチプリアーニ)で皆さんと共に美味しいランチを頂きました。ハイキングの後だったので特に美味しく思ったかも?

藤井寺市在住 辻田庄吾氏 70歳代

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