暮らしの読み物

部会や倶楽部の会員の方々のご協力により寄稿されました。
論文あり、旅あり、食あり、涙あり…と、示唆とウイットに富んだ内容をお愉しみください。


地下足袋日記   1   2   3   4   イギリス編
「遺伝子の命ずるままに 住吉高灯篭建立の奨め」   1  (PDF形式)
味読「やさしさを生きる…」   1   2   3   4   5
ロハスライフ   1
あかりと遊ぶ   1   2   3
アイビー文化を楽しむ   1   2   3   4   5
やきもの小話   1   2   3   4   5   6
35日間の熟年夫婦の旅日記   1-1   1-2   2   3   4   5   6


「アイビー文化を楽しむ」—(2)
  石津謙介氏とくろすとしゆき氏の信者となった私は、N社に就職して2年目に入り自分のリズムも作れるようになってきました。
  N社では主に外勤で自分の時間も作れ、服装は銀行や保険会社のようにやかましく言われることもありませんでした。というか会社全般が服装にこだわらない無頓着な方が多かったのでしょうか。
  私も偉そうなことはいえません。当時TPOなどの知識も無くビジネスマンらしくない服装、夏のコードレーンのスーツ、コットンスーツ、マドラスチェックのジャケットなどで顧客訪問していたのですから、今思えば失礼なことです。
  毎日出勤後、喫茶店でコーヒーを飲みながら行動予定をたてる。これが日課でした。営業といってもノルマはなく現在のように仕事のキャンセルもほとんどといってなく、それはもう強い商売でした。勤務中にボーリングに行ったこともあったかなあ、今ならクビです。そんな毎日を大いに楽しんでいました。
  しかし人間は勝手なもので心が満たされるとそれ以上のことを求めるものです。私にはこの年になるまで彼女というものには縁がなかったのですが、周りの友人にも影響され、ついにこの年の新入社員に強引にアタックしたのであります。
  この恋愛は3年間続いたのですが双方なんとなく付き合ったというだけの今から思えばむなしい時期でもあったのです。現在の若者感覚では1週間から1ヶ月でしょう。
  恋愛劇の内容を少し語っておきます。私も勝手なもので自分自身の見栄をはりたい為、彼女にもIVYに染まってもらいたかったのです。理解してくれると信じていたのです。リーガルの靴、ラコステのワンピースなどをプレゼントしたり、天王寺野外音楽堂にJAZZを聴きに行ったりして頑張ったのですが…(当時のトリは渡辺貞夫、日野皓正、豪華メンバーでしょう!)所詮、趣味の問題なのです。好きか嫌いかなのです。彼女には申し訳ないが嫌いな物を身に着けさせられて今から思えば似合っていませんでした。それでも、しっくりいかなくても、まあ何とか楽しい毎日を過ごしておりました。

  有頂天になっていた私にも転機の年がやってきました。1974年に東京6大学出身(東大ではありません)の男が入社してきたのです。高慢な男でしたが私には彼の話がことごとく憧れの世界でありました。私などはKENTルックに身を固めていても、所詮中身は薄っぺらなものであったということを痛感させられました。心斎橋でウロウロしているような田舎者だったのです。と言うより「衣」のIVYだけでは意味がない。生き方、行動が大切なのです! 彼の大学生活の話をショット・バーで何回も聞きました。憧れの世界ですからそれは楽しかったのですが、酔いがまわるにつれ屈辱の思いが吹き出してくるばかりでした。時は戻らず23歳の私に空しさが再び覆い被さってきました。 後に彼は「新川君は自分で卑下しすぎる。僕は学歴など自慢したつもりはない。新入社員として早く皆に、とけ込みたかったので学生時代の楽しさを語っただけだ」と、彼は彼なりに気を使っていたのでした。
  私は24歳を迎えもう一度、一人になり自分を見つめ直そうとしました。趣味も合わない彼女とも分かれることを決心し、何かスポーツでもやろうと思い、ゴルフなら病弱だった私でもなんとかなるのではないかと思い立ちました。当時はまだ若い人には人気がないスポーツでした。半信半疑でやりかけたゴルフで強烈な印象をあたえられたのが1974年の全米オープンの優勝者へール・アーウィンでした。憧れのスポーツ選手の中で地味ではあるがその風貌の凛々しさはすばらしいものであり、また彼は眼鏡をかけた一流プレーヤーだったのです。私も眼鏡を必要とする一人でこれはお洒落を邪魔するものと感じ、コンプレックスを持っていました。現在のように眼鏡というものはオシャレでなかった。ところがこのアーウィンのスポーツグラスを見た一瞬、今まで私の心に覆い被さっていた何もかもが吹っ飛んでいきました。自信が蘇ったのです。ゴルフを始めたお陰で先輩たちにもよく誘っていただきましたし、仲間もどんどん増えていきました。

  その頃、会社の同じフロアーに国際事業所という当社のイメージとは一風違った新しい部署が入ってきました。社員は男女とも大学出のバリバリで我々国内輸送部とは雰囲気が大きく違っておりました。そこで私は思い切ってこの仲間達に声を掛け、毎日のように男女数人で飲み歩きました。私にしてはそういう会話ができることが夢でありましたので、遅れること6年、24歳にしてやっと学園生活とはこんなものかと、そのひとかけらでも味合えたと満足をしていました。付き合えば付き合うほど又良い友が増えました。
  ここで第1回目に紹介したN君よりすばらしいIVY少年T君と出会うことになります。
  T君には本格的にJAZZの聴き方を教えてもらいました。それまでの私は何を聴いても同じように聴こえたのですが、一つのアドバイスでこんなに違うものかと驚きました。それは単純なことでした。同じ曲をいろんなアーチストで聴き比べるのです。代表的な「枯葉」の例をあげてもマイルス・デービス 5重奏団、ビル・エバンス、ウィントン・ケリー、などそれぞれで感じが違います。またリズムセクションのメンバーによっても随分変わります。アルバムを聴いている中でサイドメンの演奏に惚れ込んでしまい、そのリーダーアルバムを買って聴き、またそのサイドメンの演奏に惚れ込んでという風に半年でレコード枚数が70数枚、物事のこだわりの始まりといっても過言ではないでしょう。
  T君のお陰で物事について追及する心「こだわり」について教わったような気がします。IVYファッションについてももっと奥があるのではないかと思った瞬間でもありました。
  しかし、このあとVAN倒産という大事件がおこります。想像を絶する出来事でした。

レコードジャケットの額
自宅の壁に掛けられた
「レコードジャケット」の額
JAZZ 本

  次回はVAN倒産の悲劇が逆に本物IVYへの追及につながることについて語ります。
次回の掲載を、お楽しみに。


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